「脳トレ」としての武道/格闘技⑦

本テーマ、ずいぶん間が空いてしまいました。

”最先端の総合武道”空道 大道塾 三鷹同好会/Team Tiger Hawk Tokyoの小野です。

...何の話でしたっけ?

(^_^;)

冗談はさておき。

武道/格闘技が脳にとってもいい習慣であることを、いくつかの角度から書いてきました。

1. 自身の身体をコントロールする必要があり、

2. かつその身体操作のバリエーションがとても多く、

3. 対人であるため、瞬間的な判断力が求められるゲーム的要素もあり、

4. しかもまったく同じ局面は2度となく、

5. かつ、他者との協働が必要  ←今回

今回もまた、武道/格闘技に限った話ではありません。

しかし、脳トレ以外の側面としても、書いておきたい内容なので、このテーマの締めくくりとしてみます。

・武道/格闘技が価値を高めるには「自他共栄」

・武道/格闘技以外のことも学びましょう

・・・「脳トレとしての武道/格闘技」の締めくくりが、他のことも学ぼうって、何だよそれ! みたいな話ですが。(^_^;)

順を追って書いていきます。

さて、武道/格闘技ですが、もともと他者に競り勝つ、はっきり言ってしまえば命を奪う目的で生まれたものです。

そのあたりは以前にも書いています。

武道/格闘技は究極的に、あるいは原初的には、他者の存在を否定するためにあるとも言えるはずです。

しかしながら、上達する、強くなるためには、他者の力を借りないといけないという逆説もまた、事実です。

自身の生存のために、他者を否定するが、しかしその実現には他者の支援が必要、ということです。

(ちなみに、この逆説は社会学的/哲学的には「人間」という存在そのものにも当てはまります)

このことは、個人的にとても興味深いです。

ライオンは闘い方を誰からも教わらないでしょうから、遺伝的な要因や年齢によって勝敗はほぼ決まりますよね。

でも人間同士の闘いはそうではありません。

どんなトレーニングを、どんな環境でしてきたかは、勝敗を決める重要な要因となるはずです。

武道/格闘技は、単なる殺し合いの技術ではなく、文化なのだと言える根拠だと思います。

と、ここまではいいでしょう。

唐突ですが、現在の武道/格闘技界、そしてスポーツ界の現状について言及しておきます。

明治時代、現在の武道/格闘技界、そしてスポーツ界の土台作りに最も重要な役割を果たしたのは、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎先生ですが、その教えとして有名な言葉に「自他共栄」がありますね。

自他共栄 | 講道館
柔道総本山 講道館のオフィシャルホームページ。柔道を始めたい、柔道を学びたい方へ、講道館への入門方法から、柔道の歴史、技解説、講道館の案内、試合情報やオンラインショップなどを掲載。

明治期の知識人で教育者でもあった嘉納先生は、スポーツに限らず、日本が国際的な発展を遂げるために、誰か一人の損得ではなく、他者にもメリットのある方針を取るべきと考えたのではと思います。

1世紀経った現在の日本スポーツ界はどうでしょうか。

柔道では一時期の低迷を抜け、野球、ラグビー、サッカーなどあらゆるスポーツで世界を相手にできるレベルに発展しています。

喜ばしい成績を挙げる一方で、相撲・ボクシング・レスリング・アメフトなど、コンプライアンス的な問題を多く目にすることも事実です。

学校教育における部活の体罰問題なども含め、スポーツ界全体についての負の側面であると言えるでしょう。

どの件も、報道から考える限りは、指導者や団体トップが「自栄」を優先したことが一因であるように思います。

※「自栄」には、単に私益を求めるだけでなく、選手を勝たせることで指導者としてのステータスを上げる/守ることも含まれます。

そして、それは一部の「問題児」だけの話ではないのだろうとも。

氷山の一角として表面化した問題は、海面下にある日本のスポーツ文化の悪しき伝統の象徴です。

イメージしやすく言えば「部活カルチャーのダメなとこ」みたいな感じですが、誤解のないように初めに言えば、それは別に学校教育の部活動が始めたことではないですよ、ということです。

どちらかと言うと、日本社会の特性とスポーツが結びつく場として、部活が都合がよかったというほうが当たっていると思いますが、話が大きくなるので、そこまで触れないでおきます。

その上でわかりやすく「部活カルチャー」という呼称で話を進めます。

「部活カルチャー」とは、ざっくり言えば「上位者(上位階層)は絶対」ということです。

競技の指導についてはもちろん、それ以外も含め、上位者が正しい「ということにしている」考え方ですね。

「部活カルチャー」は、当然ながら思考停止を生みます。

考える必要がないからです。

正解は常に上位者の考えであり、それ以外は全て間違いと決まっている中で、想像力は邪魔者でしかありません。

しかしながら、現実の社会では、さまざまな立場の人たちが生きていて、それぞれの事情や考え方を持っています

スポーツに関わっている人たちも同じです。

それを「多様性」と呼ぶのですね。

ある人にとっての正解は、他の誰かにとっては大間違いでもありうるのです。

上位者の「正解」を一方的に押し付けるのは、現実的に誤りです。

それが見えなくなった「裸の王様」たちの一部が、先に述べた不祥事を引き起こしたわけです。

もちろん、彼らだって現役時代には実績があり、指導者としても優れているのでしょう(ボクシングだけよくわかりませんが)。

その知見は評価されるべきものですが、だからといって全てにおいて正しいわけではありませんし、私益(自栄)のみを追求する方向に向かったのは、本当に残念なことです。

次回に続きます。

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