「脳トレ」としての武道/格闘技⑧

”最先端の総合武道”空道 大道塾 三鷹同好会/Team Tiger Hawk Tokyoの小野です。

武道/格闘技が脳にもいい習慣ですよと言うテーマでしたが、最終回はちょっと違う角度で話を進めてきました。

1. 自身の身体をコントロールする必要があり、

2. かつその身体操作のバリエーションがとても多く、

3. 対人であるため、瞬間的な判断力が求められるゲーム的要素もあり、

4. しかもまったく同じ局面は2度となく、

5. かつ、他者との協働が必要  ←前回と今回

前回はこんな話でした。

明治時代に本格的にスポーツが普及し始めた時期に、嘉納治五郎先生は「自他共栄」という有名な言葉で、日本社会の繁栄に必要な姿勢を表現しました。

1世紀経った現在、スポーツの成績は飛躍的に向上したものの、不祥事や問題も数多く報告されています。

原因のひとつは、「上位者が絶対」と言う「部活カルチャー」が、思考力/想像力のない、「自栄」のみ求める「裸の王様」を生み出したことにあるのでは、と。

「部活カルチャー」は、実際に不祥事を起こした人たち以外にも、たくさんの「裸の王様」を生み出し、今も再生産し続けています。

念のためですが、これは上位者(指導者)サイドだけの問題ではありません

「裸の王様」を「裸の王様」たらしめたのは、結局民衆でした。

「正解は先生が持っているから思考停止」をやめると、指導者も生徒もいろいろ見えてきますよ、ということです。

「部活カルチャー」はスポーツ界だけでなく、日本社会全体にも影響してきたと思います。

今でも、大学生の就職活動においては、体育会系が高く評価されるなんていう話があります。

本当のところは判りませんが、感覚的に違和感ありません。

「部活カルチャー」どっぷりで育った若者が、大学卒業後、新卒で就職。

同じように育った上司のもとで育ち(部活でいう1年に戻るわけですね)、年次を重ねて後輩ができて指導する側に回り、出世してさらに多くの人たちに影響を与え、というのを繰り返すことが現実に起こるわけです。

念のためですが、上下関係を尊重する事自体は、何も悪くありません

小野はまったくいい先輩ではなかった(今も?)自覚がありますが、自身は尊敬すべき先生方、先輩方に育てられました。

しかし、同じくらい、同輩や後輩たちに学ぶこともたくさんありましたし、今でもそうです。

そしてそれは、武道/格闘技以外の分野でも同じで、多くの気づきも学びも得られました。

「部活カルチャー」の問題点は、ある閉鎖系の中で価値観が決まっていくことにもあると思います。

ひとつの道を極めることは素晴らしいことですが、「自分の頭で考える力」をつけるには、広い範囲について知ることが必要です。

武道/格闘技以外のことについて学んでおくことは、結果としては武道/格闘技にもいい影響を及ぼすのではないでしょうか。

小野は会社員でもあるわけですが、武道/格闘技で学んできたことが社会人生活に役立ったことはもちろんあるだろうと思います。

しかし、逆に社会人になってから得た知識や経験が、武道/格闘技に役立ったことも、特に指導する立場に立つようになってから、たくさんあります

そして、学生時代に学んだことも、ずっと役に立っています

ラグビー日本代表の元ヘッドコーチ、エディー・ジョーンズさんは、日本の学生選手から、トレーニング時間の増大が学習時間を奪っている現状を問題視していました。

(もっとも、理由は「みんながプロになれるわけではないから」というものですが、全員がトップレベルを目指さなくてもいい、という発想も、確かに日本スポーツには必要かもしれません。)

現代では、気になったことをスマホで調べると、それらしい答えがブログやらネットニュースで引っ掛かってきます。

それを鵜呑みにするか、「どうしてそう言えるのか」考えるのかで、自身にとっての意味は変わります

その「考える」力は、当たり前ですが自分で勉強しないと身に付きません

考えることも、スポーツ技術と同様、訓練して身につくスキルだということです。

ですから、学生スポーツ指導者は「スポーツだけしてちゃダメ」というメッセージを生徒には伝えてほしいところです。

「道場」は、社会人や学生など、異なった立場の人たちが集まり、一緒に稽古して、交流して、「お互いに」影響を与えあう場だと、小野は考えています。

それぞれが、それぞれの立場で学んで、経験してきたことを共有できる場だとも言えます。

指導者も、先輩も、生徒さんも後輩も、みんなお互いから学びましょう。

信頼関係は、そういった相互作用から生み出されるものです。

試合に勝つだけが「道場」の存在意義ではありません。

人同士のつながりの強さ、信頼関係こそ、何物にも代えがたい財産だと思います。

それが、現代の「自他共栄」ではないでしょうか。

蛇足ながら。

そう言いつつ、信頼関係の強い「仲のいい」道場は、試合成績もいい傾向はあると思います。

試合レポートでも触れたことがありますので、そちらもご参照ください。

武道/格闘技が、社会にとっての価値を維持する、あるいは向上するためには、今一度「自他共栄」に立ち戻ることが必要ではないかと思います。

「多様性」は21世紀のキーワードでしょうし、他者と自身との闘争的関係性という根源的な命題は、その中で表面化してきていると考えています。

一例ではSNSでの誹謗中傷問題なども、多様化が進む世界の中でパワーバランスが不安定になっていることが影響しているように思うからです。

はじめに戻りますが、武道/格闘技は、その目的を他者の否定におきながらも、目的達成のためには他者からの支援が必要であるという、人間存在が持つ逆説性をもっとも体現しています。

だからこそ、どんな時代においても有用なカルチャーなはずです。

今回はなんだか堅苦しい上に、充分に整理しきれてない話になりました。

最後に脳科学的な観点で言うと。 ←無理やり感ありますがご容赦ください。(^_^;)

互恵性(他者の利益になる行動は、自身の利益にもなる)と、利他性(他者の利益になる行動を取る)は、社会性の高いサル(霊長類)でも確認されているとのことです。

「自他共栄」の精神は、実はヒトに進化する前から、我々の遺伝子に組み込まれていたようです。

人間は、いろんなものを発明しすぎて、結果として脳自体のレベルで見ると退行しているのかもしれませんね。

お読みいただいた方、ありがとうございます。

ザ・ブルーハーツ「裸の王様」

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